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バーンスタイン「ミサ」公演レポート〜山田治生

   日本で23年ぶりに本格上演されたバーンスタインの「ミサ」を見て、あらためて、バーンスタインが破天荒な作品を書いたことを実感した。オーケストラと、ロック・バンドと、ブルース・バンドと、マーチング・バンドと、合唱と、児童合唱と、数多くの歌手と、ボーイソプラノと、ダンサーたちを要する空前絶後の規模のミサ曲。そして、その内容はある意味挑発的で、宗教的な問題を含む。この作品に深い共感を寄せる井上道義は、上演に際し、「僕がやらなきゃ誰がやる?」と述べていた。そして、彼は23年ぶりの再演を実現させた。今回、実際の公演に触れ、私は、バーンスタイン自身の「オレが書かなきゃ誰が書く」というメッセージを強烈に感じた。こんな作品、バーンスタイン以外には書けないと。

   井上道義の渾身の指揮は、姿は違うにしても、バーンスタイン本人を思い起こさせた。23年前にも「ミサ」を指揮した井上の中でこの作品が熟成され体に入り込んでいるのがわかる。そして井上は凄まじい集中力ですべての出演者・演奏者をリードした。

   演出に関して、井上は、上演前に、司祭をバーンスタインに設定すると語っていた。どのようにバーンスタインを描くのか興味津々であった。舞台を見て、井上は、ますますエスカレートする周囲の期待や要求に応えられなかった生身の人間として(それを司祭に重ね合わせて)バーンスタインを描こうとしたのだと思った。一旦は司祭服を脱いだ彼が再び司祭服を着せられるところが象徴的だった。井上は、バーンスタイン=司祭の苦悩だけでなく、周りの期待に応えらえなかった挫折(最期)までを描き切った。そして、バーンスタイン=司祭には井上自身も投影されているようにも感じられた。

   大山大輔は思慮深く司祭=バーンスタインを演じた。「われ往かん」での晩年のバーンスタインの絶望や聖杯を破壊することによって気がおかしくなるシーンなどで真に迫る。ストリートコーラスの16人は、よくこれだけのソリストが揃ったと思う。なかでも、敢えてカウンターテナーで歌われた藤木大地の「ありがとう」が精彩を放っていた。児童合唱のキッズコールOSAKAも演技付きの歌唱を見事に担っていた。

   オーケストラは大阪フィル。広いフェスティバルホールの空間をいっぱいに使った楽器配置で、かなりタイミングが取りづらかったであろうが、よくやっていたと思う。そして、管楽器の一部(フルートやクラリネット)が暗譜で演技にも参加し、印象深いシーンを作り上げていた。楽団創立70周年を記念するにふさわしい上演となった。

   バーンスタインの「ミサ」の最終的なテーマは、宗教や宗派の違いを越えて自分たちで新たな信仰=信頼を作り上げていくということであろうが、井上道義はその中心に子供たちがいることをはっきりと示してみせた。最後に、ボーイソプラノ(込山直樹)が気絶したストリートコーラスの大人たちを目覚めさせ、「ラウダ、ラウダ、ラウダ、ラウデ」の歌声を広げていくシーンは感動的だった。井上は、バーンスタインが次の時代を子供たちに託そうとした意思を見事に舞台上に再現してみせたのである。

   23年ぶりの「ミサ」の上演は、聴衆に大きなインパクトを与えた。それが、日本での早い時期の「ミサ」の再演につながるかどうかはわからない。もし再演がなくても、今回の「ミサ」が長く語り継がれていく公演になることは間違いないであろう。

【舞台写真】提供:朝日新聞文化財団 撮影:森口ミツル

左から、大山大輔、井上道義、山田治生(2017年3月、フェスティバルホールにて)

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