「大阪国際フェスティバル」の公式ブログです。

menu

大阪国際フェスティバル公式ブログ

エッセイ〜バーンスタインの自伝的肖像としての『ミサ』〜(山田治生)

  今回のバーンスタイン「ミサ」で、演出の井上道義氏は、作中の司祭役をバーンスタインに設定するが、バーンスタインの評伝の著者、ジョーン・パイザーも、司祭は部分的に作曲者自身の自伝的肖像であると解釈している。彼女はこう書いている。

「バーンスタインは、『ミサ』の音楽と台本を通して、ギリシャ(ミトロプーロスの影響)から、ブロードウェイのミュージカルを経て、『カディッシュ』に至るまで、自分の人生の道のりをなぞっている。『ミサ』がバーンスタインの実人生の話でなければ、『ミサ』のなかの『カディッシュ』は説明がつかない」

  つまり、ギリシャの旋法の使用はバーンスタインに指揮者になることをすすめたギリシャ出身の指揮者ミトロプーロスの影響を示すものであり、ブロードウェイ風の音楽(「クレド」のなかの「終わりなき世」など)はバーンスタインのブロードウェイ時代を示し、「サンクトゥス」でのヘブライ語の歌詞の合唱は、バーンスタインの出自であるユダヤ教及び、彼の交響曲第3番『カディッシュ』の世界とつながる、ということである。

  また、パイザーは、司祭が法衣をまとうシーンはニューヨーク・フィルが与えた権威の法衣を象徴するという。確かに、法衣を着る前のギターを爪弾いて「シンプル・ソング」を歌う司祭は、ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任する前の、ブロードウェイでも活躍するミュージシャンだったバーンスタインを想起させるし、最後に法衣を脱ぎ捨てる司祭は、ニューヨーク・フィルを退任して自由になったバーンスタインを思わせる。「ミサ」(1971年)が、ニューヨーク・フィル退任(1969年)後、初めての大作だけに、バーンスタインとニューヨーク・フィルとの関係も考慮に入れて観ると面白い。

  井上道義氏は、「ミサ」から、パイザーとはまた違ったストーリーを見出すに違いない。指揮者であり、作曲もする同業者・井上氏がバーンスタインをどう描くのか興味津々である。

第1回パシフィック・ミュージック・フェスティバルで指揮をするレナード・バーンスタイン(1990年6月29日、札幌の旧北海道厚生年金会館)
撮影:林喜代種

★7/14(金)・15(土) バーンスタイン「ミサ」の公演情報はこちら

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。