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大阪国際フェスティバル公式ブログ

4月7日 マリナー&アカデミー室内管弦楽団
――マリナーさんとフェスティバルホール その1――

巨匠サー・ネヴィル・マリナーのフェスティバルホール登場は今回が4度目。1963年、1972年、1988年と過去3回も大阪国際フェスティバルの公演でした。写真と資料で当時の公演を辿ります。


1963年 第6回大阪国際フェスティバル
初登場は1963年4月13日~20日のロンドン交響楽団の来日公演でした。若きマリナーさんは当時、第2ヴァイオリンの首席奏者として日本ツアーに参加。

演奏会は全5公演。この時、オーケストラと共に来日した指揮者は、往年の名指揮者ピエール・モントゥー(1875-1964)、そしてハンガリー出身のアンタル・ドラティ(1906-1988)とゲオルク・ショルティ(1912-1997)の3人。今では考えられない超豪華メンバーです。

1963年4月、フェスティバルホールでのリハーサル風景。中央が指揮者ピエール・モントゥー。その左がマリナーさん。

1963年4月、フェスティバルホールでのリハーサル風景。
中央が指揮者ピエール・モントゥー。その左がマリナーさん。

同楽団正指揮者だったピエール・モントゥーは3公演を指揮しました。第1夜がワーグナーの「ニュルンベルクのマイスター・ジンガー」前奏曲、エルガーの「エニグマ」変奏曲、シベリウス「交響曲第2番」。第3夜はベートーヴェン「コリオラン」序曲と「交響曲第8番」、ブラームス「交響曲第2番」、そして第4夜はチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、シューベルト「交響曲第7番」というプログラムでした。

第2夜を指揮したアンタル・ドラティは、ヘンデル「水上の音楽」、モーツァルト「交響曲第40番」、チャイコフスキー「交響曲第4番」を。そして、第5夜のゲオルク・ショルティはベートーヴェンの「エグモント」序曲、「交響曲第4番」と「交響曲第7番」を演奏しました。

モントゥーにとって、この時が最初にして最後の来日でした。

1963年大阪国際フェスティバルの公演プログラム「来日メンバー表」から。第2ヴァイオリンに「ネヴィル・マリナー」の名前がある。

1963年大阪国際フェスティバルの公演プログラム「来日メンバー表」から。
第2ヴァイオリンに「ネヴィル・マリナー」の名前がある。


1972年 第15回大阪国際フェスティバル
2回目のフェスティバルホール登場は、1972年4月14日、17日に行われたアカデミー室内管弦楽団の来日公演でした。マリナーさんは既にロンドン交響楽団時代から仲間を集めて室内楽の活動を始めていました。1958年に「The Academy of St. Martin-in-the-Fields(アカデミー室内管弦楽団)」を設立。ピエール・モントゥーに指揮法を師事し、1972年は楽団リーダー・指揮者としての来日でした。メンバーは総勢18人。

第1夜はヘンデルの「合奏協奏曲第6番」、エルガー「弦楽のためのセレナード」、メンデレスゾーン「弦楽のための交響曲第10番」、そしてヴィヴァルディ「四季」というプログラム。第2夜はJ.S.バッハ「ブランデンブルク協奏曲第3番」、ブリテン「シンプル・シンフォニー」、ヴィヴァルディ「四季」が演奏されました。

このころ、マリナー&アカデミー室内管弦楽団はバロックや古典派の作品で次々にレコードを発表していました。ちょうど来日の少し前、1970年に発売されたヴィヴァルディ「四季」のレコードは、華麗な装飾音や強弱の幅が大きく、個性的な演奏が新しい時代を感じさせ、注目を集めたアルバムでした。クラシック・ファンには懐かしい録音です。

1972年大阪国際フェスティバルのプログラムより

1972年大阪国際フェスティバルのプログラムより


1972年4月の公演写真。左側前列のコンサートマスターがマリナーさん。

1972年4月の公演写真。
左側前列のコンサートマスターがマリナーさん。


(次回へ続く)

4月7日「マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団」の公演情報はこちらへ。

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